夫婦も最後は「人類愛」
そもそも、新婚ホヤホヤの夫婦ならいざしらず、離婚を考えるほど冷め切った関係だったのです。愛人がいたとしても「ご勝手にどうぞ」という境地ではないでしょうか。そう思えないのであれば、まだ夫を愛していて、本心では離婚したくなかったということなのでしょう。だから、愛人との写真を死の間際まで大事に隠し持っていたことが腹立たしいのです。
愛する相手に裏切られたのだから怒りは当然のこと。だとしても、死後離婚だなんだと言えば言うほど、未練を強めることになりませんか。一度は離婚を選び、自立した一人の女性として生きる覚悟をしたのです。「最後は妻としてではなく、人類愛で、夫の面倒をみてあげました」と言い切るプライドを持ってはどうでしょうか。そこまでの愛が持てないというのであれば、夫の生きているうちに予定通り離婚して、看病はするべきではなかったのです。
看病をした真心を踏みにじられたようでくやしい、そんな思いもあるでしょう。問い質そうにも夫はもうすでにこの世にはおらず、本人に仕返しすることもできない。怨念めいた思いを抱えて生きても、自分の心を痛めつけることにしかなりません。
それでも気持ちに区切りをつけたい、と届を出すのであれば、それもひとつの選択肢。けれど私としては、夫の死後も手続きにわずらわされるより、「自分を頼ってきた人は、かつては家族だった人。その縁で骨を拾ってあげただけ」と考えて、一日も早くご自身の新しい人生をはじめてほしいと思います。
山も谷も乗り越えて、長く結婚生活を送った後では、たいていの夫婦は「人類愛」の領域にたどりつくものです。酸いも甘いもかみ分けた読者のみなさんなら、その境地はなんとなく理解できるのではないでしょうか。
『婦人公論』2026年11月号にて、「開運の秘訣は、自分を信じること」をテーマに江原啓之さんと作家の林真理子さんが話し合いました






