多くの若者たちが死んでいった
戦前の流行歌はあまり人気がなかったが、戦中には他の作曲家たちを押しのけて、圧倒的な支持を集めるようになった。古関が持つクラシック音楽の魅力が、時代の空気と一致したのである。したがって、日中戦争の勃発、さらにアジア・太平洋戦争に突入したことは、古関の作曲家としての地位を高めるものとなった。
歴史にもしもはないが、日中戦争が起きず「露営の歌」が生まれなければ、古関が活躍する時期はもっと遅れたのではなかったか。古賀政男や服部良一と肩を並べて、流行歌の三大作曲家と呼ばれるようになれたのも、戦争が起きたからである。
そのことを誰よりも実感していたのは、古関自身であったと思われる。古関が中支那方面の慰問で「露営の歌」を歌う多くの将兵を前に涙を流した。彼らの姿はもとより、ビルマ方面の慰問先で目にした将兵の姿が脳裡によぎったことも想像に難くない。
自分は戦争によって作曲家として活躍する機会に恵まれた。しかし、一方で自分が書いた歌を大衆が支持し、その歌で戦場に送られ、多くの若者たちが死んでいった。そのような矛盾する状況を、古関は終生背負うこととなった。
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