「ここで逃げたら追いかけられて、またしてもコソコソと生活するはめになる。そんな経験をこれまでさんざんしてきたわけですから、もう二度と同じ思いはしたくない」

更年期には円形脱毛症になったことも

あらためて振り返ってみると、おかみを務めていた時代は、それこそ1年365日、時間に追われていました。3人の子どもたちを育てながら、力士たちや部屋の運営にまつわること、各種行事など、さまざまなできごとへの対応が必要です。いつも必死で、子どもたちが成長するまでは、自分自身の時間なんてまったくありませんでした。

いくつもの役割をこなすのは確かに大変でしたけど、人間って、求められると頑張れるもの。これをやれば形になる、喜ばれる――。完璧にできなかったこともたくさんありましたが、精一杯頑張った結果がその都度、明らかになっていくので、なんとか走り続けることができたのだと思います。生まれつき丈夫な私ですが、次々と難題が降りかかり、更年期のころには円形脱毛症になったこともありました。

それでも、忙しいこと自体はそれほどストレスではなかったんですよ。自分の思いを自分の言葉で語れなかったのがつらかった。

結婚するまでの私は、マイクを向けて相手の言葉を引き出す仕事をしていたのが、結婚後はマイクを向けられる側になりました。しかも、裏方の立場である私が自分の言葉で語ることはよしとされない。何事も軽はずみには口にできなかったし、伏せておかねばならないこともたくさんありました。下手な伝え方をしたら一大事。だったら、何も言わずに黙っているのが賢明だろうと。