「あら、ちょっと、可愛いんじゃないかしら?」

エリザベス会館の女装手順は、最初に女性用の下着を買います。次に自分が着たい洋服を選びます(自分で持って来る人もいます)。ぼくは、どうせ冗談だからなるべく非日常的なものにしようと、派手なチャイナドレスを選びました。

次に更衣室に入って全裸になり女性用の下着を付け(ここでまず気分を盛り上げるようです)、選んだ服を着ます。そしてメイクルームに行きメイクをしてもらい、最後にカツラを付けたら出来上がりです。「はい終わりました」と言われて恐る恐る鏡を見ると、声に出しては言わなかったのですが、「あら、ちょっと、可愛いんじゃないかしら?」と思ったのです。

ぼくは若い頃から自分の顔に失望していて、この顔では一生恋人が出来ないだろうと思っていました。自分の顔を鏡で見るのも嫌だったぼくが、その時はいつまでも鏡の前にいました。みんなはお互いを見合ってゲラゲラ笑ったりしていましたが、ぼくだけがちょっとウットリしていたようです。

女装が完成すると、上の階にあるスタジオで撮影です。その階には、女装者達が寛げる憩いのスペースもありました。ぼくらは女装と言うより仮装と言ったほうがいいような格好で、上の階に通じるビロードの階段をドカドカ上がっていたら、憩いのスペースでソファーに座って煙草を吸っている先客の女装者がいました。ぼくらみたいに冗談で女装しているわけではありません。もう女性になりきって煙草を燻らせているのです。そこへ、髭を生やしたまま女装した連中がドカドカ階段を上がって来たので、ギョッとしたような顔になりました。

ぼくはその人に悪いような気持ちになって、女性になったようにしずしずと階段を上っていたら、その女装の人と目が合いました。その瞬間、ニコッとぼくに会釈してくれたのです。初対面で話したこともない人なのに、その時その人と気持ちが通じ合ったように思ったのです。

その一瞬のことがいつまでも記憶に残っているのは、みんな冗談で女装していたのに、ぼくだけ本気になりかけていたからかもしれません。女装の本来の意味である「気持ちまで女性になる」ことが、自分のなかで起こりかけていたのではないかと思うのです。と言っても、そこで女装に目覚めたわけではなく、女装したい気持ちも起こらずに10年ほど経ちました。