「人生の最期」をテーマに「渡鬼」の構想を練っていた

「渡鬼」の第1シリーズが始まったのが90年。まさかこんなに長く続くとは思いませんでした。2021年に放送する分もすでに構想が進み、橋田さんも具体的に構想を練ってらしたんです。

「こんな時代だから、暗い要素のないドラマにしたい」と。「じゃあ、冒頭はどうする?」と聞いたら、「コロナのことから入ろうと思う」とおっしゃっていました。

テーマは「人はひとりではない」。長山藍子さん演じる弥生のところは、配偶者を亡くした老人が集まってお茶を飲む場になっています。「ラスト、その中の2人の結婚式だったらいいわよね」と――。

「渡鬼」の頃は、原稿をすぐ受け取って読むために石井さんも熱海にマンションを借りていたそう。「すぐ局に持って帰らなくてはいけないので、泊まったとことはほとんどないんですけど」と石井さん。(写真提供◎石井さん)

人生の最終期をどう過ごすかは、90を超えた私たち2人のテーマであると同時に、もっとも現代的なテーマで、すばらしい内容だと思いました。実現は叶いませんでしたが…。

ご自身はいつも、「私はひとりぼっちだし、いつ死んでもいい」と言っていました。でも私はそのたびに、「だったらなぜリハビリに行ったり、病院に行ったりするの?」と怒っていたんです。「あなた、いつもそういうことを言うからイヤよ。もう言わないで」と。だって、決してひとりじゃないですもの。みんなまわりにいるんですから。

最期は苦しむことなく、海も富士山も見える大好きなご自宅で過ごせて、本望だったんじゃないでしょうか。そして、たくさんの人に温かく見守られて逝けてよかったと思います。きっと喜んでおられることでしょう。

 

『婦人公論』に語られた【スガコ語録】

●女友だち

私にとって、石井ふく子さんは特別な女友だちです。(略)

ふく子さんは私よりも1歳下ですが、プロデューサーですから、脚本家の私にとって上の方。親しい友人とはいえ、けじめは大切にしています。(略)だからといって、彼女の言うことをなんでも「ハイハイ」と聞いているわけではありません。思っていることは言います。それで、大ゲンカになったこともありますし。

でも、私はふく子さんに対して、「絶対に裏切らない」と決めているんですね。そういう信頼関係が根底にあるからこそ、正面切っていろいろと言えるのです。それに対して、ふく子さんもちゃんと答えてくださる。相性もあるでしょうが、そういう女友だちに巡り合えたのは、稀有なことだと思っています。

(1999年10月22日号)
●心の「鬼」を退治する

いちばんいけないのは、相手を敵だと思うことです。それは、自分の心の中に鬼を飼うことですから。『渡る世間は鬼ばかり』というタイトルも、実は反語で、自分の心の中に鬼がいるから、周りの人が全部鬼に見えてしまうということを意味しています。心に鬼がいなければ、世間に鬼はいません。

では、どうすれば鬼を飼わないでいられるか。

方法はいろいろあるでしょうが、相手の気持ちになることもそのひとつです。それから、イヤなことがあったときに逃げ込める世界を持つこと。(略)幸せを自覚することも大切です。幸せなんて、自分の気持ち次第なのです。相手に幸せにしてもらおうなんて、考えない。要求もしない。そういう気持ちでいれば、何かしてもらえば有り難いと思うものです。

向かい合った相手を敵とは考えずに、仲間にしてしまうこと。それが、人生を楽しく生きていくコツだと思います。

(1997年7月号)
●死ぬのは怖くない

私は戦争を経験し、死ぬ覚悟をしていたところを助かって、もらった命だと思って生きてきましたから、死ぬのは怖くありません。でも、痛いのは一日でも避けたい。モルヒネのような麻酔薬を打ってもらい、眠るように自然に亡くなるような措置をしてほしいと思っています。

(2017年10月10日号)