小学3年生でお笑いに目覚め
出身は愛知県。ビジネス旅館を営む両親のもとに生まれました。泊まりに来たお客さんに可愛がられ、人前でカラオケやダンスを披露することが好きでしたが、同年代の友達とかかわるのがあまり得意ではなく、小学校では「暗い」とか「怖い」と思われていて……。
そんな私がお笑い芸人を目指そうと思ったのは、小学3年生の時。「五匹のこぶたとチャールストン」の歌に合わせて踊るという授業がきっかけです。私が思いっきり踊っていたら、みんなが「え? あの志保ちゃん(本名)が?」と、それまでの私とのギャップに驚いたのか、めちゃめちゃ笑ってくれて、拍手喝采。私がみんなを笑顔にしている、その衝撃、この快感。「笑いの力」を感じた、忘れられない日になりました。
大学進学時に、実家を出て大阪の短大を選んだのも、お笑いの本場に身を置きたかったから。大学に「お笑い研究会」がなかったので、キャンパスで人間離れした動きのダンスで異彩を放っていた団体に興味を持ち入部しました。芸の肥やしになれば、と思って。これが競技ダンスとの出合いです。
私はダンスにはまり、一気にのめりこんでいきました。卒業後の進路を考える時期には、ダンスは全日本学生競技ダンス選手権大会で入賞するくらいのレベル、一方お笑いのほうは吉本新喜劇のオーディションに合格。お笑いをやりながらダンスを続けるつもりでいたら、恋心を抱いていた先輩に「どちらかにしろ」と怒られて。好きな人にそんなこと言われたら、ダンスを選びますよね。私は吉本の合格を辞退してしまいました。
その後、ダンス講師の仕事をしながら競技会に出ていたんですが、ケガもあり学生時代のような成績を残すことはできなかった。そんな時、実家の母の具合が悪くなり、私が26歳の時に他界。私はダンスの道を断念し、実家に帰らなければならなくなりました。