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2019年8月に妻に先立たれたばかりのアントニオ猪木さん。あまりプライベートについては語らない猪木さんが、ジャーナリストの中村竜太郎さんに心中を明かします(構成=中村竜太郎 撮影=本社写真部)
撮る側と撮られる側の信頼関係で
中村 8月27日、奥様の田鶴子さんが62歳でお亡くなりになられました。お悔やみ申し上げます。公私ともに猪木さんをお世話していらっしゃいましたね。「ズッコさん」の愛称で親しまれていましたが、猪木さんはなんとお呼びになっていたんですか。
猪木 正式に結婚したのは2年前なんですが、旧姓の「橋本くん」でずっと通していました。出会ったのは私が現役を引退した後の1999年。写真集を出そうという話になって、写真家だった彼女にお願いして、パラオで撮影をした。最初は仕事の付き合いだったんです。
中村 そして専属カメラマンになられた。
猪木 うん。やっぱり強烈な印象があるのは、94年以来私は33回北朝鮮を訪問しているんだけど、彼女が一緒にくっついてきたときだね。北朝鮮は会談の写真はダメ、現地のここはダメとか、特にカメラに対してすごく警戒する。ところが彼女は人の懐に入るのが天才的というか、生まれつきの人柄なのか、いつの間にか北朝鮮高官にすごく好かれて、自由に撮らせてもらっていましたね。
中村 へえ。
猪木 カメラマンによっては北朝鮮の暗部、汚いところばかり撮りたがる人がいるけれども、彼女は違った。彼女があるがままに撮影していたら、信頼を勝ち得た。だから今回も北朝鮮から丁寧な弔いのメッセージをいただきました。
中村 直近20年間の猪木さんの写真のほとんどが、田鶴子さんの撮影によるものですね。
猪木 私が東京ドームで引退試合をやったときも、他人が入って来ない控室にカメラを携えてズカズカやって来る(笑)。四六時中私にくっついていて、もう(写真は)いいだろうと思うこともあったんですが、結局、撮る側と撮られる側の信頼関係です。
それが本能的にお互いわかっていて、何が撮りたいのかなとか、こういう感じかなっていうのは言葉じゃなくてわかるんですけど、それが日常的なコミュニケーションだったのかもしれません。