自分はあの時、投資をしていたのだ
こうして「氣志團 綾小路“セロニアス”翔のオールナイトニッポン」に、メディア露出は数年ぶりという形で出演することになった。本番当日深夜に再びお台場のニッポン放送へ行くと、千葉のど田舎のヤンキーみたいな人がそこにいた。
「綾小路 翔と言います。ジャガーさん、お久しぶりです!」
「?????」
「僕、中学生のときにJAGUAR CAFEに面接しに行ったことあるんですよ」
「あ、う〜ん……そうでしたか」
正直、思い出せなかった。しかし翔くんは当時のことを鮮明に覚えているらしく、あの日のことをいろいろ話してくれた。ポツリポツリと断片的な記憶が一本の糸でつながっていく。ああ、あの日、君津の家に返したあの中学生か……!
「あ〜〜〜! いや〜、ごめんなさいね。中学生は雇えなかったので」
「いや、尊敬するジャガーさんとお話しできただけでも大満足でしたよ」
「あの後、結局高校は行かなかったんですか?」
「あの日、帰り際にジャガーさんに言われた『高校生になったらまたおいで』という言葉と、バンド雑誌で読んだ野村義男さんの言葉に押されて、高校に進学することにしたんです」
笑いながら翔くんはそう言って、東芝EMIと契約することになったキッカケも話してくれた。
「その東芝EMIの担当者の家は火事になったんですけど、その人はなぜかその2本のビデオだけを持って逃げたんですよ。そして熱で半分溶けたVHSを僕にプレゼントしてくれました」
これは今でも大切に保管してあるという。
最後に一緒に握手した。ジャガーの両腕の先から生えているトゲトゲを間近に見た翔くんはうれしそうだ。
「これが噂のチタン製のトゲか〜。これに触ったら死んでしまうんですよね?」
彼はよく知っている。これもみうらじゅんさんとの間に生まれた設定で、公式のプロフィールにもそう書いてあるけど、翔くんと握手した後日、そこに一文を書き加えることにした。
「手から生えているチタン製のトゲに触ると死ぬが、ただし綾小路 翔くんは鍛えているので死なない」
「HELLO JAGUAR」をやめてからずいぶん時は流れたけれども、その間にかつて自分の番組を観てくれていた世代が今、こうして最前線で活躍するようになっていた。
自分はあの時、投資をしていたのだ。
そう考えるとうれしくなった。それが2003年くらいだっただろうか。「HELLO JAGUAR」の放送終了からおよそ10年が経とうとしていた。