「阪神間でおばちゃんのことを知らん人はおらん」と誇らしげなご夫婦の口調に、安子さんへの絶大な信頼が窺える。こうして卒部生やその親たちが練習や試合に顔を出すことも多いようだ。また、顔を出すどころか、各学年の監督やコーチは全員が卒部生の親で、全部で30人ほどがボランティアとして参加しているというから驚く。
試合を見学していた元コーチは、安子さん夫婦とほぼ同世代。小学生だった息子に野球をと、いくつかのチームを見学するなかで安子さんの話を聞き、「この人に預ければ間違いない」と決めた。「うちの息子たち、いまも親の言うことは聞かなくてもおばちゃんの言うことは聞く。40過ぎた息子がですよ」とにこやかに話す。
「こんな女性はほかに知りません」。
12歳までに生きる土台を
安子さんは明治生まれの両親のもと、二男二女の末っ子として生まれた。父はすでに仕事を引退していたうえに、安子さん曰く「家のお金を持ち出しては遊びまわる道楽者」。母の内職と兄の給料で生活を支えたが、小学生の安子さんの長靴を買うのに、母が「月賦で」と店に頼むほど貧しかった。
6人家族が暮らすために必要な家事はいくらでもある。物心つくかつかないかという頃から炊事洗濯に買い出しにと鍛えられ、12歳になった時、「自分が自立したとはっきり自覚しました」と話す。この経験が「12歳までに生きる土台をつくる」というリトルウルフの指導方針の柱となった。