次の世代に場所を譲るかのように散っていく
同じようにめでたいとされる植物に、ユズリハがある。
ユズリハは、カシワと異なり、秋になっても葉が枯れることのない常緑樹である。冬の間も、葉を青々と茂らせている。
しかし、春になって新しい葉が出ると、古い葉は譲るように落ちていく。それがめでたいとされたのである。
「めでたい」とは、どういうことなのだろう。
マツは、冬になっても青々と葉を茂らせている生命力の強さから、めでたい植物とされている。しかし、いつまでも葉がついていることだけが、めでたいのではない。
古い葉が枯れて落ちていき、新しい葉に代を譲り、命がつながっていくことが「めでたい」のである。
※本稿は、『生き物が老いるということ――死と長寿の進化論』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。
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どうして人間以外の生き物は若返ろうとしないのだろう?
イネにとって老いはまさに米を実らせる、もっとも輝きを持つステージである。人間はどうして実りに目をむけず、いつまでも青々としていようとするのか。実は老いは生物が進化の歴史の中で磨いてきた戦略なのだ。次世代へと命をつなぎながら、私たちの体は老いていくのである。人類はけっして強い生物ではないが、助け合い、そして年寄りの知恵を活かすことによって「長生き」を手に入れたのだ。老化という最強戦略の秘密に迫る。
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