結婚したいのは「誰かの一番」になりたいから

またあるとき、

「結婚して子どもを産んだ人たちって、別の世界の住人みたいだよね」と友達が言う。

「そうだねぇ。でも、A子も、結婚して、子ども欲しいんでしょ?じゃあ、いつか別の世界にいっちゃうね」 
「そやねん、ヒオカとは別の世界に行きたい」

ぐさぐさぐさ!!!いいよった。

しかも結構ガチなトーンで。

「既婚になることと友情はトレードオフじゃないでしょう」
「そうやけど、子ども生まれたら生活リズム合わんくなるやん」

 もうなんも言えね。

しかし、一応聞いてみた。

「なんで、結婚したいの?」

「誰かの一番になりたいから。仕事だけで埋まるのが、虚しいから」

「あぁ、それは分からなくもないかも。結婚してる人や子どもがいる人には一番がいて、でも、自分を一番に思ってくれる人がいないって、寂しいよね。どれだけ仲がいい友達がいても、この人には《一番》がいるって思うと、なんか孤独を感じる時がある」

「そう、つまり海に同時に友達の夫や子どもと私が溺れてたとするやん?そしたら、友達は私を後回しにするってこと。誰かの一番になれないってそういうことやで」

(写真提供◎写真AC)

「さすがにその例は極端すぎひん?」

恋をしない、結婚願望も子ども欲しい願望も皆無な私でも、孤独という概念はある。

「誰の一番」にもなれないという現実は、直視しないようにしている。

でも、疑問に思うのだ。

恋って、恋愛ってなんでそんなに閉鎖的なの?

愛にはいろんな種類がある。家族愛、友愛、ペット愛、同胞愛。

なかでも恋愛は、とても排他的だと思う。