恋をしない自由はなかなか認められない

不倫や浮気を肯定するとかそういうことではない。

友人に彼氏が出来たり結婚したりすると、疎遠になったり、わかりやすく蔑ろにされたり、そこまででなくともやっぱりパートナーが最優先になる、ということを結構経験してきた。

そのたびに、恋をしない私は少し複雑な気持ちになるのだ。

恋愛ソングは、「あなたしか見えない」「あなたがいれば何もいらない」

みたいな歌詞がめっちゃある。

いやいや、愛があったってお金も仕事もいるよね。

あなたしか見えないってどんだけ視野狭窄なん。と真面目に突っ込んでしまい、まったく共感ができない。

私は、恋愛をしなくても、そのことでなにか満たされないとか、人生が充足していないと感じたことはない。

でも世の中は、「恋は幸福の必要十分条件だ」「処女や童貞は恥ずかしい」という空気が充満している。

以前、アロマンティック・アセクシャルについて記事を書いたとき、「恋愛対象の自由は認められてきたけど、恋をしない自由はなかなか認められない」というメッセ―ジが来た。

それな! と首をぶんぶん縦に振りつつ、とても悲しくなった。

いい年して恋愛経験がない、彼氏がいない、結婚してないと、《何か問題がある》みたいに言われてしまう。

恋しないんだと伝えても、

「強がってるだけでしょ」なんて半笑いで言われてしまう。 

そもそもなんで人が恋愛するかどうかにそんなにみんな関心があるんだろう。
別に迷惑をかけるわけでもないのに。

恋をすることは素晴らしいことだと思う。
でも、恋しない人生だって、それはそれで、素晴らしいものなのだ。

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