千秋楽なんて来てほしくない。私は私の好きが過去になっていくことに向き合わなくてはならないから。ここまで好きなら忘れない、とは思う、ブルーレイで見れば一瞬で蘇るんだし。でもだんだんブルーレイで見ている映像にすべての記憶がすり替わっていく気もする。そうでないと言い切る自信がない。私だけが見た、私の席からしか見えないあの日の公演。どんなに思い出せてもあのときに見たものそのままには決してならない。好きだからこそ、好きだったあの瞬間そのものが自分の「記憶」ですべて再生できるなんて思えない。あの日のあの瞬間のあなたが最高だったと思う限り、すべてを今も思い出せるなんて絶対に言いたくない。

 その舞台があるから幸せですとか、毎日元気になれます、と言えたらいいのだけど、どちらかと言うとそれがなければ平静が保てない、みたいな感覚の方がしっくりきてしまう。本当にそれが「平静」なのかはもはや誰にもわからないけど、とにかくそうしたギリギリのところに今自分はいる、という感覚が強くて、好きなものを見つけて人生を幸せに!みたいなメッセージを見かけると嘘でしょ!?と思ってしまうのだった。趣味なんてくだらないという人にはそりゃもちろん私もNOを言いたいが、自分を自分で幸せにできるから好きなものは素晴らしい、みたいな話は、ギリギリの気持ちがバランスを崩したときに、まるで「好き」が未熟だったような気がして余計に落ち込む気もしてしまう。

 私だって幸せではある。楽しいし、でも好きだからこそ繰り返し見ようとする時の執着心のようなものは、一度どこかで躓いたら、とんでもない大怪我を心に負いそうだ、と思いながら猛ダッシュを繰り返している感覚がある。そんな話を舞台に出る人たちには絶対知られたくないのでたいてい書かずにおいてしまいがちだけど、私は本当はそういうの悪いことだと思わないし、ネガティブなことも一つも言ってないと思うのです。私は、そんなに元気を必要としていない、幸せになりたいとふんわりは思うけど、幸せ100%になるためになにかの選択をしたりそのためだけになにかを捨てたりなんて絶対嫌だ。そこまで辛さや苦しさを完全にゼロにして漂白したような人生を生きたいとは思っていない。案外幸せより選びたいものってあるんだということを知っている。私は、見たい公演を見たい。見たい公演は見たいから「見たい公演」なのであって、その公演が自分を元気にするかとか幸せにするかとかにあまり興味がない。幸せになれなくても見たいし、元気になれなくても見たい。好き以外に何にもなく、好きは、幸せなど連れてこなくても十分に特別だ。