公演を見て、元気がない日も生きているのだと思えるようになりました。苦しい時に、どうして苦しいのに生きているのだろう、とは思わなくなりました。生きたいから生きているのだということが揺らぐことのない事実になりました。正体不明な苦しさに全ての判断を奪われることがない。不安でも、辛くても、それで自分の人生そのものを疑うことがなくなった。少しも明るくないように思えて、光を当てて影が濃くなるのとは真逆の、穏やかな満ちる光によって、影そのものが部屋から薄れて消えるような感覚です。「好き」は、すべてを満たして消し飛ばすわけではないけど、私の人生を私だけのものにしてくれる、取り返してくれる。だから私は「好き」が好き。そしてそれをそのまま、書くことができたらいいなと思った。明るくて楽しくて、最高な気持ち!だけじゃないことの方が私には重要で、だから特別だと書けたらいいなと思った。千秋楽が来るのは嫌。繰り返し見るのは、見たら消えてしまうことが本当に苦しくて、だから必死で追いかけ続けているというだけ。そこには痛みも苦しみもちゃんとあって、でも、私はそのことを何より大事に思っている。私は、元気なんかより「私だけの人生」が欲しかったんだなー!私は非常に心の根っこが明るい人間なのですが、書くとこんなことになるのはどうしてなんでしょう。怖いですね。訳もわからず悲しい日より、好きな公演が終わってしまって悲しい日が私の人生に散りばめられて本当に嬉しい!
千秋楽を迎えたその日に書き始めたらこんな文章になってしまいました。私はしばらく落ち込んで、多分体調も崩すはず。でも、その調子の悪さをできる限り静かに胸の奥にためて、沈めて、いつか振り返るために美しい地層を作りたいなと思っている。私は、私の「好きな人たち」がとても好きで、その人たちを好きだと思える人生が好きだから。だからその中の「幸福な記憶」だけトリミングするなんてほんともったいないと思うんです。