人は善でもあり、悪でもある
平壌で見た、忘れられない光景があります。終戦後、最初に入ってきたソ連兵は囚人兵だと言われており、入れ墨を入れていたりして風体も荒々しく、軍規もへったくれもなかった。そうした一団が夕方宿舎に帰るのをなんとはなしに見ていたら、誰からともなく歌を歌いはじめました。そして歌は自然と二部合唱、やがて三部合唱になり、見事なハーモニーを奏ではじめたのです。
それまで1つのメロディをみんなで力いっぱい歌う斉唱しか知らなかった僕は、生まれて初めて聞く和声に、「なんだ、これは!」と全身が痺れるような感覚になり、その場から動けなくなりました。
美しい歌は、美しい心から生まれるのではなかったのか。ケダモノのような連中がこんな美しい歌を歌うとは、いったいどういうことなのか――。
その謎は、日本に帰ってからもずっと僕の中に残りました。もしかして文学作品を読めばわかるかもしれないと思い、ゴーゴリやチェーホフやトルストイを読んだけれど、やっぱりわからない。その謎を探りたくて、大学でロシア文学を専攻したようなものです。父に「露文科に進む」と告げると、一言、「ロシアは母さんの敵だぞ」と言われました。しかし結局、謎は解けないまま今に至っています。
僕らが生きている世界は、経済に目を向けても弱肉強食だし、戦争は見えづらい形であらゆるところで持続しています。それが露骨な形で露呈するのが戦場だと、僕は思っているのです。戦争という状態の中では、人は国策に従うしかないし、人間が人間でなくなってしまう。そうした現実から目をそらさずに直視すると、つい世の中や人生を悲観してしまいます。
人間は、善でもあり、悪でもある。誰しもその両方を持っています。悪があるからこそ、善き行いをする人を見て感激もするし、人を愛し、慈しんで生きていきたいと切望するのでしょう。
時々ふと、地獄がないと天国はありえないのではないか、という思いがよぎります。天国だけの世界というのは、やはり考えられない。世界には昼だけではなく夜もある。しかし、明けない夜もありません。とにかく、一刻も早く戦争状態が終わってほしい。今は、そう切に願うばかりです。(談)