音大から無名塾へ

ーー当時ついていた声楽の先生から、いきなり劇団四季を受けるのではなく、音楽大学でもっと基本を身に付けて、実力を磨いてから劇団四季にチャレンジしても遅くないのではないか、と言われた佐賀さん。納得の上、音楽大学の声楽科を受験し、見事合格。音楽大学での学生生活が始まる。

音大に入ってみると周りは、ベートーヴェンだのモーツァルトがどうのこうの、と子どもの頃からクラシックに触れた人たちばかりで、まるで話がかみ合わない(笑)。まったく面白くなくてすぐにやめようと思いました。でも、声楽の先生に「一つのこともできなくて、この先の人生、切り開いていけるの?」と諭され、退学は断念。結局4年間はミュージカルにも挑戦できたし、サッカー部、野球部、卓球部に所属して大活躍できたし、学生生活を謳歌して、無事に卒業も果たしました。

僕の目標は最初から「ミュージカル俳優」。大学で声楽をやり、バレエを習って踊れるようにもなったけれど、「芝居をする」というところが抜けていると感じていたころ、無名塾のミュージカル『森は生きている』のオーディションの記事を目にします。あの仲代達矢さんのミュージカルなら、と挑戦したものの関西弁が直せずあえなく落選。しかし、塾生オーディションに挑戦して26期生として入塾しました。

ーー多くの実力派俳優を排出した「無名塾」は言わずと知れた仲代達矢さんが主宰する俳優養成所。その入塾審査の厳しさは有名で「劇団の東大」とも言われる。佐賀さんは26期生だが、次の27期生は6年後に入塾している。

無名塾での日々は…う~ん、一言でいえばきつかったです。朝5時には稽古場に行って掃除をして、ランニングと発声練習。9時に稽古が始まって、夜中までやらなきゃいけないことは目白押し。公演があればチェック項目は100以上。ミスが出れば怒鳴られる。常にギリギリの状態で追いまくられていましたね。4年たったら7人いた同期は2人になっていました。でもあの仲代達矢さんの身近で4年間を過ごすことができたのは財産です。

「無名塾」にいた頃。仲代達矢さん(左)と(写真提供◎佐賀さん)