不意に感じた寂しさの正体は?
かくして運転免許証を失い、代わりに免許証とそっくりの写真付き運転経歴証明書なるものをもらった。これが免許証と同じように身分証明に使えるという。が、返納の手続きを終えた帰り道、何とも言えない喪失感に襲われて、そんな自分にうろたえた。
これは一体何なんだ? と、あわてて予想もしていなかった寂しさの正体を求めて心の中を覗き込む。年齢によって、これまで出来たことが、まだ出来るのに今日から出来なくなった。
というか、することが許されなくなった。今日だって昨日と同じように運転は出来る能力はあるのに、出来ることをしたら無免許運転で捕まっちゃう。
そこで初めて、運転免許というのは国によって認められた自分の能力だったのだと気づいた。履歴書の資格欄に書けるものは、私にはこれしかなかったのだということにも遅ればせながら気がついた。今後もし履歴書を提出することがあっても、そこはもはや空欄にするしかない。
ずしんと気持ちが凹む音が聞こえたような気がした。もしかしたら、老いる寂しさを社会によって実感させられた初めての経験だったのかも。