「ポジティブに生きよ」と煽られても…
今は「ポジティブな生き方」とか「ポジティブ人間」とか、一般社会で当たり前に使われる。それはまさに「陽画」の名の通り、明るく前向きな志向を指す。人として、その生き方やあり方はプラスだとされ、そんな本も多く出ている。特に高齢者は、
「人間に年齢はない。何かをやろうと思った時が一番若いのだ」
「まずは動いてみよう。動かずに後悔するより、動いて後悔する方がいい」
などと言われると、力が湧く思いがするのではないか。「そうよ、死ぬまでポジティブに生きなくちゃ」とすることに、私もまったくの同感だ。
しかし、ある時にふと思った。世間は「ポジティブに生きよ」と煽ってはいるが、そこに具体性が見えない、と。「人間に年齢はない」にしても「動いて後悔する方がいい」にしても、具体的にどう考えればいいのだろう。
「ポジティブ」という言葉は、具体的ではないのにその気にさせる。使い勝手がいい。結果、乱用されて力を失った言葉ではないだろうか。「さわやか」とか「ネバー・ギブ・アップ」とか「安心安全」などに、力を感じないのと同じだ。何ら具体的でないのに、耳元を心地よく通過していく。
そこで『今度生まれたら』(講談社)という小説では、「ポジティブに生きること」を説く講演会講師を、主人公は質問攻めにする。講師は返答するものの、かなり窮してしまう。きれいごとばかりでは納得できない。