家で看取る選択肢

11月の終わり、私がお見舞いにいくと、主人がいる個室に先生や婦長さんをはじめ看護師さんが10人近く勢揃いしていたんです。そして、

「もう最後かもしれませんから、おうちで看取ったらどうでしょうか」

と提案されました。主人も、「俺も死ぬなら家で死にたい」と言うんです。でも私は自信がありませんでした。だから「できません」と答えました。主人のことはもちろん大切です。

けれども私が倒れたらアウトでしょう。ずっと健康に生きてきたのに、この頃は腰や背中が痛くて……。電動ベッドですからスイッチ一つでベッドを動かして体を起こせるのに、主人は私に「起こして」と言うんです。向かい合って両脇に手を入れて起こすのですが、素人で起こし方が下手だから、すっかり体の節々が痛くなってしまった。

夜は主人は1階、私は2階に寝るのですが、しょっちゅう私の携帯に電話がかかってくるんですよ。呼ばれるので、下に降りていって「何?」と言うと「テレビつけて」とか些細な用件ばかり。寂しかったのでしょうが、私は睡眠不足になりました。

幸い、私と主人の貯金がありましたし、このまま個室に入院していてほしいと思ったんです。だって何か高熱や呼吸困難のような緊急事態が起きるたびに病院に連れてくるのも大変ですし、そういった時の対処法をうかがっていても、よく理解できないんです。だからもうなんと言われようと、家で看るのは無理、と思いました。

すると、そばにいた娘(40代)が「かわいそうじゃない。こんなに家に帰りたいと言っているのに」と、私に向かって言ったんです。

後編へ続く〉

 

※本稿は、『実録・家で死ぬ――在宅医療の理想と現実』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。


実録・家で死ぬ――在宅医療の理想と現実』(著:笹井 恵里子/中公新書ラクレ)

最期を迎える場所として、ほとんどの人が自宅を希望する。しかし現実は異なり、現在の日本では8割の人が病院で最期を迎える。では、「家で死ぬ」にはどうすればいいのか。実際には、どのような最期を迎えることになり、家族はなにを思うのか――。著者は、在宅死に関わる人々や終末期医療の現場に足を運び、在宅医療の最新事情を追った。何年にもわたる入念な取材で語られる本音から、コロナ禍で亡くなった人、病床ひっ迫で在宅を余儀なくされた人など、現代社会ならではの事例まで、今現在の医療現場で起こっていることを密着取材で詳らかにしていく。