妻は"闘った人"

なんだか看病のために再婚したみたいだけれど、縁があったのだからしょうがないわね。

それにね、葬儀の時、住職さんが「看病や死後に送ってほしいのは子どもたちではない。長年連れ添った奥様ですよ」と言ってくれて、この一言で私のつらかった心の中が明るくなったんです。

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家族の人数が少なく、まして前妻の娘との同居だったため、皆で協力するという体制が作りづらかった面があったかもしれない。

「今、寂しいですか?」と私が尋ねると、

「そうね。うるさい人ほど静かになって寂しいかもしれない」と少し笑った。

「寂しいけど、看病がなくなって肉体的なつらさが和らぎ、自由に使える時間が生まれて、やっと自分のことを考える余裕ができたの。これからは自分の頭がボケないようにデイサービスに行ったり、ジムに行って体を鍛えなきゃ。英会話の勉強もしたいのよ」

妻は、そう凛と話した。"闘った人"の顔だと感じた。

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※本稿は、『実録・家で死ぬ――在宅医療の理想と現実』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。


実録・家で死ぬ――在宅医療の理想と現実』(著:笹井 恵里子/中公新書ラクレ)

最期を迎える場所として、ほとんどの人が自宅を希望する。しかし現実は異なり、現在の日本では8割の人が病院で最期を迎える。では、「家で死ぬ」にはどうすればいいのか。実際には、どのような最期を迎えることになり、家族はなにを思うのか――。著者は、在宅死に関わる人々や終末期医療の現場に足を運び、在宅医療の最新事情を追った。何年にもわたる入念な取材で語られる本音から、コロナ禍で亡くなった人、病床ひっ迫で在宅を余儀なくされた人など、現代社会ならではの事例まで、今現在の医療現場で起こっていることを密着取材で詳らかにしていく。