都合のいい真実
村井が怒りに任せて暴れるシーンを見て、多くの人が心揺さぶられたのは、現実では大抵の場合、村井のように怒りを表明することができないからだ。
だからフィクション内の人物に、その怒りを託すのだ。
もちろん器物損壊はダメだけれど、セットを破壊する村井を見つめる恵那の「いっそ木っ端みじんに壊れてしまえと、本当は私も願っていたのかもしれない」
という言葉のごとく、正義が機能しない社会なんて、もういっそ、壊れてしまえ。そう思うほどの不条理が世に溢れている。
知らなければ、通り過ぎていれば楽だった真実を知ってしまった人たちは、どうしようもない、四肢をバラバラにされるほどの怒りに打ち震えるのだ。
そして、当事者は、村井のように、自分の身を省みず、同じ温度、いや、それ以上に憤り、怒ってくれる人に救われるのだろう。
『Mirage』の歌詞にあるように、「誰にだって口に出せないことがあって塞いでいる」のだ。
最近、組織内での性暴力や虐待、ハラスメントが次々明らかになっているが、告発する当事者の周辺で、味方をする人もいれば、保身に走り、見て見ぬふりをした多くの傍観者がいたのだろう。
そして、まだ白日の下に晒されているのは、ごく一部の出来事なのだろう。
毎回、冒頭で表示される、「このドラマは複数の事件から着想を得たフィクションです」という言葉があまりに重い。
佐野氏は「本作は実在の事件に着想を得ていて、参考元の事件にはまだ未解決のものも多く含まれています」と雑誌『CREA』のインタビュー「視聴者に無理やり答えを与えるテレビは宗教に近い?『エルピス』のエンディングに迫る」で答えている。
佐野氏の言葉のごとく、これは今、私たちが生きているこの社会で起きていることなのだ。無実の罪で捕えられる人、真実を告発しようとして消される人。権力に怯み真実を報道しないマスコミ。
思い知らされる。
私たちが見ているのは、見せられているのは、真実じゃない。
都合のいい真実なのだと。
先日も、拘留中の男性が複数の署員から暴行を受け、結果的に死亡したという事件が大きな話題となった。
政治の腐敗、権力の暴走は、ファンタジーでもフィクションでもない。
拓朗が言うように、「明日も世界は平和なふりして回るのだ」。
闇の中など見ないほうが楽だという人たち、公権力の乱用や暴走など、ファンタジーだと信じて疑わず、無頓着でいられる人たちがつかるぬるい平和の脇で、不都合な真実は闇の中に。
そしてまた、無実の市民が、死んでいくのかもしれない。