松原惇子さん(右)と、その母・かね子さん(左)(撮影:宮崎貢司)
ノンフィクション作家の松原惇子さんは、このたび、母・かね子さんとの同居を巡るやりとりを共著『97歳母と75歳娘 ひとり暮らしが一番幸せ』にまとめました。その過程で見た母の本心は(撮影=宮崎貢司)

おひとりさま同士の同居は簡単ではない

母・かね子は、昨年末に97歳になりました。私は今75歳ですから、ずいぶん長く親子関係を続けてきたわけです。母はお料理上手で、部屋はチリひとつなく、おしゃれにイッセイ ミヤケを着こなし、いつも朗らか。自慢に思うことはあれ、母がどんな人間かなんて、意識したことがありませんでした。でも、親子ってそんなものじゃない?

母は78歳で夫を亡くし、初めてひとり暮らしをすることになりました。一方私は、若い時に離婚してからずっと独身。折に触れて食事はしても、互いの生活には干渉し合わない。そんな自立した家族でした。

ところが、私65歳、母87歳の時のこと。私は、住んでいたマンションの漏水事件をきっかけに、老猫を連れて路頭に迷うことになりました。そこで、母に頼み込み、実家に間借りすることに。43年ぶりの同居でした。

その時点で母はひとり暮らし10年目。夫婦関係や、未成年と親の関係と違って、大人の女性、しかもおひとりさま同士の同居は簡単ではありません。お互いに独自の生活習慣があって、なかなか歩み寄れないのだから。実際私たちもぎくしゃくして、気まずい時期もあって。7年後、愛猫を亡くしたことで、私は引っ越すことを決断し、同居は解消しました。

とはいえ、私の引っ越し先は、近くの公団住宅。お互いのペースで生活ができ、万が一何か起きたらすぐに駆け付けられる、私たちにとってベストな距離でした。私は落ち着ける場所ができて優しくなれたし、93歳の母も自分の生活を取り戻して、ほっとした様子。「スープの冷めない距離」ならぬ、「スープの冷める距離」がよかったのね。

別居までの顛末は、過去に『婦人公論』でも語ってきましたね。何冊かの本の題材にもしてきたので、もう母について書くことはないだろう。そう思っていた矢先、ひとり暮らしに戻った親子の胸中を本にしませんかとお話をいただいたのです。

説得に押されてOKはしたものの、形にするまでには葛藤がありました。今までさんざん書いてきたけれど、あくまでそれは私視点で見てきたこと。母の言い分は聞いたことがない。本心を知るのが怖かったのね。