それでも険しい道を選ぶ
そうやって悩み考えながら過ごしたこの数年、新たなお仕事や、ようやくゆっくりと過ごせる自由な時間を重ねるにつれて、早霧さんを縛っていた苦悩は少しずつ薄れていった。
「俳優の仕事をするのは、生活を支える職としてではない」と感じ、自分自身がやりたいことなのだとはっきり認識した。過去の経験を大切にするだけではなく、今ここで求められていることに集中して力を尽くす。ただ、それで良いのだと思えるようになったという。
「死ぬまで……死んでからも、私にはこの肩書きがついてくると、最近ようやく覚悟が決まりました」
重々しい言葉だが、それはこの1年ほどの舞台を経験して新たな手応えを感じたからでもある。
新型コロナウイルスの影響で2020年の春に「脳内ポイズンベリー」の公演が一部中止となってしまった時には、舞台に立てることの幸せと有難さを痛感した。
その半年後には、スペイン内戦時に無差別爆撃を受けた街とそこに生きた人々を描いた「ゲルニカ」に出演。演出家の栗山民也さんに、自分の未熟さや課題点を的確に指摘され、目が醒めるような思いだった。演技方法だけではなく心構えに至るまで毎日発見があり、役者として多くのことを学んだ作品だったという。
そして、主役の立場では気付けないことがあると思った早霧さんは、主演以外の仕事に挑戦したいと望むようになった。ゼロから演劇を学び直したい気持ちが険しい道を選ばせた。