早稲田時代(20歳頃)に撮った宣材写真

大学中退で、父親には勘当だと言われ

B作さんが早稲田中退を決めたことを両親に打ち明けると、当然のことながら猛反対を受ける。

――親父も小学校しか出てないし、蔵もない家ですからね、長男がやっと東京の大学に行って、自慢の子だったんですよ。それが役者になるとは何ごと、勘当だ、ってことに。でもお袋は、「どうせ授業料を溜めているんだろう。大学やめるなら、全部払ってきれいにやめなさい」と20万を渡してくれたんです。すごいですよね。

すぐに大学をやめて、あちこちの劇団を受けるんですが、福島訛りのせいで全部駄目(笑)。それで調べたら、自由劇場に福島高校の先輩で、創立メンバーの佐藤博さんがいたので、頼みこんでまず裏方の音響へ入れてもらいました。

そのうち養成所に編入されて、卒業公演では主役でしたけど、それを自由劇場の女王たる吉田日出子さんが見て「B作って面白い」って言ってくれた。それがとても嬉しかったですね。

しかし役者になってからは、僕たちが1ヵ月半くらい稽古して、即興もいろいろ考えて作っていった芝居なのに、当時すごい売れっ子だった日出子さんが稽古場に現れましてね、串田和美さんとは仲良しですから、「ねぇ、サム」って串田さんを通称で呼ぶんです。「ねぇ、これじゃデコ、できな~い」って。

するとサム、優しいですからね、「わかった、作り直すよ」って。「ふざけんなよ。それじゃこれまでの長い稽古は何だったんだよ」って。(笑)

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