「兄のこともあって、私も憎まれました。でも、友達はほとんどみんな〈柴田さん〉を支えてくれました。(笑)」(樋口さん)

黒井 じつはそれには後日談があり、僕が東京大学に入学した後、駒場キャンパスで偶然、その先生に出会ったんです。なんでも民主主義教育を学ぶために派遣されたとかで。

それを聞いて僕は、なんだか騙されたような感じがした。先生の立場をストレートに同情も非難もできない。懐かしいとも思えないし、もどかしくて、どう対応していいかわかりませんでした。

樋口 私も同じキャンパスで学んでいたのに、黒井さんとは顔を合わせませんでしたね。

黒井 僕は駒場で見かけましたよ。でも、声をかけなかった。

樋口 あらまぁ、声をかけてくれればよかったのに。

黒井 大学でも人を引き連れて、先頭を歩いている感じでしたよ。昔ブックバンドが流行って、教科書を十字に縛って持ち歩いていたでしょう。樋口さんは〈荒縄〉で教科書を縛っているのが僕のイメージ。(笑)

樋口 だいぶバーバリアン(蛮風)の印象をお持ちだった(笑)。その頃の私は好きなだけ本を読み、オペラを歌い踊り、まさに戦後の新しい時代を満喫中。大学の新聞部に入って走り回っていました。私は通信社に入りましたが、黒井さんも卒業後、就職なさいましたね。

黒井 はい。若い頃から作家になりたいと思っていましたが、就職したのは生きる手段であり、学ぶ場所であるとも感じて。自動車会社のサラリーマンをしながら評論や小説を同人雑誌に書くようになり、40歳を前に退社しました。

樋口さんも同じ頃、評論家として活躍するようになって。メディアに登場する姿を見て、子ども時代と変わっていない、あいかわらず威勢がいいな、と微笑ましく思っていました。(笑)

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