「自分一人でどんなに頑張っても、どんなに勉強しても開かない扉がある。それがちょうどいい時に出会った人物によって、スッと開かれることがあるんです」(撮影:岡本隆史)
演劇の世界で時代を切り拓き、第一線を走り続ける名優たち。その人生に訪れた「3つの転機」とは――。半世紀にわたり彼らの仕事を見つめ、綴ってきた、エッセイストの関容子が聞く。第20回は俳優の佐藤浩市さん。22歳で出会った相米慎二監督に、演技の解釈は一つじゃないことを教わったと語る佐藤さん。30代での阪本順治監督との出会いと共に、適切な時期の、幸運な出会いだったと語ります――(撮影:岡本隆史)

<前編よりつづく

大きな勘違いで数年芝居に苦しんだ

ところで、第1の転機となるのは、どのあたりでしょうか。

――どんな時にどんな人物と出会えたかが大きな転機になるんだと僕は思うんです。自分一人でどんなに頑張っても、どんなに勉強しても開かない扉がある。それがちょうどいい時に出会った人物によって、スッと開かれることがあるんです。その出会いは運でもあるんですけどね。

第1の転機は相米慎二監督との出会いだったと思います。僕は22歳という若さでその出会いがあった。それが《勘違いだったかもしれない》ということも含めて、あの出会いは大きかったと思いますね。

 

その作品は83年公開の『魚影の群れ』。下北半島の漁港・大間で喫茶店を経営する青年が佐藤浩市。その恋人が夏目雅子。その父親で鮪の一本釣りをする荒くれの漁師が緒形拳。

――相米さんから教わったのは、解釈は一つじゃない、ということ。「悲しみも、怒りも一つじゃねぇ。その怒りを十個やってみろ。泣くから悲しいのかお前。悲しいから笑うんだろう」。そういうことを教わった。

でも具体的に教えてくれるような楽な人じゃなかったから。「てめぇ、バカ野郎、自分で考えろ。下手糞、もう一回!」しか言わなかったですね。

最初に雅子ちゃんとの出会いのシーンがあって、次に緒形さんが僕の喫茶店に乗り込んでくるシーン。それこそ何十回やってもオッケーが出ず、もうどうしようもなくなって、僕は勝手に考えて、『少年マガジン』を持って便所に入っちゃった。

キンコーンって扉が開く音がして緒形さんが乗り込んでくる。でもそこにいるはずの俺がいない。緒形さんが困ってるのもわかるわけですよ。

それからトイレを流して「いらっしゃい」って出て行って芝居を続けたら、それがオッケーになったんですよ。やったぁ!と、それが勘違いの始まり。

突飛なことをすればいいんだという大勘違いをして、3、4年、芝居で苦しみました(笑)。緒形さんはあの時、「芝居変えて、この野郎、やりやがったな畜生」と思ったんでしょうね。撮影の終盤のシーンで、思いっ切り引っ叩かれましたから。(笑)