原田さんの遺作となった『大鹿村騒動記』(11年)には三國さん、浩市さん父子が出ていらっしゃる。

――あの時は芳雄さん、とても苦しそうでしたね。周りはみんな覚悟していて、撮影が滞っても、それをどういうふうに撮ろうかというのも含めて、みんなで考えながら臨んでいました。

三國はその2年後に亡くなるんですが、僕は甲斐甲斐しく病院に通うような関係性ではなかったわけで。

でもこれも映画が繋いでくれた縁だと思うけど、たまたまこれも阪本順治監督との映画(『人類資金』)でニューヨークに行かなきゃならなくて、しばらく顔を見られないなと思ったんで、病院へ会いに行ったんですよ。

車椅子を押して庭に出たんだけど、「寒い」って言うからじきに中に入っちゃって、結局話らしい話もしなかった。そして僕が帰国してまもなく彼は亡くなったので……。これも映画というもののおかげでしたね。

僕が横浜流星くんとともに主演を務めた『春に散る』という映画がもうすぐ公開されますが、若い役者たちが激しいボクシングのシーンを、覚悟を持ってやっています。僕はボクシングで一時代を築いたものの今は病を抱えるコーチの役。チャンピオンを目指す若いボクサーとともに命をかけて闘う。

それで思ったのは、経験値の高い人間が、より人間としての位が高いわけじゃない。若い奴らからも教わることがある、ということでしたね。

 

では最後に、第3の転機は……?

――まだこれから先に第3の転機、新しい出会いはある、ということにしておきましょうか。

 

若さが感じられていいですね。