元気だった時期の原田芳雄さん(右)と(写真提供:佐藤さん)

お芝居ではないけれど、浩市さんの「朝日のあたる家」を聴いて、いいなと思いました。歌の世界への誘いは原田芳雄さんとの出会いから?

――70年代の非常にフワフワした時代に青春期を過ごした僕らにとって、本当はあるはずのないアウトローたち――原田芳雄、松田優作、萩原健一といった人たちへの共感と憧れというのがありましたからね。

芳雄さんと出会ったのはずいぶん前ですよ。20歳の時に『ポーツマスの旗』というスペシャルドラマでご一緒して、それからいろいろあって阪本さんの『KT』(2002年)という金大中拉致事件を扱った映画でもガッツリ共演しました。

そうこうしているうちに、実は芳雄さんの息子の原田喧太と、僕の妻の妹が結婚したので、身内になったんです。芳雄さんはよくライブもなさっていたから、ちょこちょこ遊びに行っていました。

その後、芳雄さんが亡くなって、その追悼ライブをやるようになって……ということなんです。もう、年に何回かはライブをやらせてもらってます。