父と八ヶ岳の出会い
ここ数年は、以前は好まなかったプリンといった甘いものに手を出すようになったものの、お酒は相変わらず大好き(笑)。ワインは、亡くなる2日前まで飲んでいました。
そうそう、禁煙のためのニコレットというガムがあるでしょう。初孫の誕生で父は煙草をやめたのですが、そのときに噛み始めたニコレットが手放せなくなっちゃって(笑)。それも最後まで噛んでいました。
そうしていつもと変わらない穏やかな毎日を過ごし、大好きな八ヶ岳の家で、家族と倶楽部のスタッフに囲まれて旅立ちました。80歳を過ぎて、ほかに病気もなく死ぬのを老衰と呼ぶそうですが、生前「老衰で死にたい」と言っていた父には理想的な最期だったと思います。
父と八ヶ岳の出会いは、中学生のとき。柳生家には「男子は13歳になったら一人旅をする」という家訓があって、その旅先に選んだのが八ヶ岳でした。茨城の地主の家に生まれた父は、里山の管理や世話が地主の仕事であると、小さい頃から曽祖父に野良仕事や畑仕事を仕込まれていたそうです。
僕が5歳の頃、父は八ヶ岳にも家を構えました。といっても僕と兄(園芸家の故・柳生真吾さん)は東京の学校に通っていたので、週末になると八ヶ岳に連れて行かれた、という感じです。当時、父は人気が出て仕事が忙しかったようですが、少しでも休みが取れると八ヶ岳で過ごしていました。