いつのまにかできあがっていた「八ヶ岳倶楽部」

芸能人が過ごすお正月、と言えばハワイを想像するじゃないですか。柳生家はマイナス10度を切る八ヶ岳で、初日の出です(笑)。でも富士山の横から顔を出す朝日は子ども心にも美しく、地元の人との餅つき大会も楽しいものでした。

ただ、この頃の僕は「みそっかす」扱い(笑)。八ヶ岳にきたところで、野良仕事は5歳上の兄が断然うまいわけですよ。

荒れ果てた針葉樹林を手に入れ、一本一本伐採しては広葉樹に植え替えて豊かな森にしていく。そんな作業を父と兄がしている間、「お前はその辺で遊んでなさい」と言われるので、仕方なく川で一人で遊んでいました。(笑)

倶楽部内に設けられた、柳生博さんを偲ぶスペース。思い出の写真や大好きなワインなどが並ぶ

兄は重いチェーンソーを使いこなし、教習所に通ってユンボ(油圧ショベル)の免許まで取って。そんな姿を父は誇らしげに見ていたと思います。1989年に「八ヶ岳倶楽部」を始める際も、僕は高校2年生でしたからなにも知らされていませんでした。

最近、みんな忙しそうだなあと思っていたら、いつのまにかこんなものができあがっていた。(笑)

僕が生まれるまで女優をしていた母は、倶楽部でレストランを始めるために1年間、喫茶の専門学校へ通ったそうです。いまもお店の一番人気で、看板メニューと言えるフルーツティーは、「こんな山奥までわざわざきてくれるお客さんに、特別なものをお出ししたい」と、母が7種の果物を入れて完成させた味なんですよ。