「ぜフラメンコにそこまで心惹かれたのか。理由のひとつは日本の芸能との共通点です」(撮影:木村直軌)
東京は柳橋の常磐津の師匠の家に生まれた少女が、28歳で観た舞踊に魅せられスペインへ。以来六十余年、日・西で学んださまざまな芸を創造の源に、挑戦を続ける(構成=篠藤ゆり 撮影=木村直軌)

<前編よりつづく

全身全霊をかけて修業するしかない

28歳のとき、来日したスペインのピラール・ロペス舞踊団の公演を観て、魂を射抜かれました。偶然にも、当時留学先から帰国したばかりの夫に、本当に踊りたかったら本場に行かなければ駄目と勧められて、夫を置いてスペインへ。言葉もわからず稽古に励み、スペイン語を習いつつ、フラメンコ修業三昧の日々。

1年後、帰国してリサイタルを開きましたが、自分としてはとても満足できるようなものではありませんでした。芸を極める厳しさは子どもの頃から熟知していましたが、本気でフラメンコを身につけたいなら本場で、その世界で全身全霊をかけて修業するしかない。夫も顧みず、再びスペインに戻りました。

彼自身も芸術家なので私の想いをわかってくれ、結婚生活よりフラメンコを選ぶことができました。ちなみに彼はその後、素敵な女性と再婚。私が帰国した後は家族ぐるみで親しくおつきあいし、彼らの息子は私のことを「庸子おばちゃん」と呼んでなついてくれた。

離婚してからのほうが人間対人間として、またアーティスト同士として、いい関係を築けたと思います。