2024年のNHK大河ドラマ『光る君へ』で注目を集める平安時代。主人公の紫式部のライバルであり、同時代に才能を発揮した作家、清少納言はどんな女性だったのでしょうか。「私は紫式部より清少納言のほうが断然好き」と公言してはばからない作家、下重暁子氏が、「枕草子」の魅力をわかりやすく解説します。縮こまらず、何事も面白がりながら、しかし一人の個として意見を持つ。清少納言の人間的魅力とその生き方は、現代の私たちに多くのことを教えてくれます。
清少納言の文体は俳句に近い
この記事は、私の独断と偏見なのだと、最初にお断りしておきたい。学問的に言えば、なんの根拠もないとおしかりを受けることを承知で書くことにした。
私の感性だけでそう思ったというに過ぎない。だからといって自信がないかと言えばそうでもない。
清少納言の「枕草子」は、俳句そのものなのだ。
俳句は連歌の上の句である五・七・五で作られた定型詩で、十七語、十七音とも呼ばれる。
清少納言が「枕草子」を書いた時代、つまり平安時代に俳句という短詩型の分野は存在しなかった。
江戸時代になって松尾芭蕉あるいは、小説家としての方が名高い井原西鶴らが、俳諧師として活躍。座の文芸として集った人々が五七五の発句(ほっく)と七七の脇句を交互に連ねて歌仙を巻き、俳諧師という職業の人々が中心になって、一つの物語をつくる遊びが生まれた。
それは俳諧と呼ばれたが、もとはといえば、平安時代半ばに流行した長短二句を唱和する連歌(れんが)の流れを汲んだものである。
曲水の宴などと呼ばれる、庭の池や流れにそれぞれ陣どって前の五七五につなげて七七と連想をつなげていく優雅な遊び。