(写真提供:Photo AC)
現在放送中のNHK大河ドラマ『光る君へ』。吉高由里子さん演じる主人公・紫式部を中心としてさまざまな人物が登場しますが、『光る君へ』の時代考証を務める倉本一宏・国際日本文化研究センター名誉教授いわく「『源氏物語』がなければ道長の栄華もなかった」とのこと。倉本先生の著書『紫式部と藤原道長』をもとに紫式部と藤原道長の生涯を辿ります。

紫式部の上京

結婚の決心がついたのであろう、紫式部は長徳3年の年末か翌長徳4年(998)の春、父を残して単身、都へ帰った。

鹿蒜(かえる)山から呼坂(よびさか)を越え、今度は琵琶湖東岸を舟で進み、雪の伊吹(いぶき)山を見ながら磯の浜を経て、ふたたび打出浜(うちいでのはま)に着いた。

「都の方へ帰るというので、鹿蒜山を越えた時に、呼坂という所のとても難儀な険しい道で、輿(こし)もかき難じているのを、恐ろしいと思っていると、猿が木々の葉の中から、たいそうたくさん出て来たので、」といって詠んだ歌は、

ましもなほ 遠方人(をちかたびと)の 声かはせ われ越しわぶる たにの呼坂
(猿よ、お前もやはり遠方人として声をかけ合っておくれ。私の越えあぐねているこの谷の呼坂で)

というものであった。

猿の声など、はじめて聞いたことであろう。伊吹山を見ては、

名に高き 越(こし)の白山(しらやま) ゆきなれて 伊吹の嶽(たけ)を なにとこそ見ね
(名高い越の国の白山へ行き、その雪を見馴<な>れたので、伊吹山の雪など何ほどのものとも思われないことだ)

と詠んでいる。いかにも自分は人の知らぬ特別の経験を積んだ者だといわんばかりであるとのことである(清水好子『紫式部』)。