女性官僚のパイオニア的存在であり、「男女雇用機会均等法」の成立に尽力するなど国内外で活躍してきた赤松良子さんが、2024年2月6日、94歳で逝去されました。大学の後輩で、志をともにしてきた樋口恵子さんが、赤松さんの大きな功績と親交の思い出を語ります(構成:篠藤ゆり)
かなわなかった最後の晩餐
突然の訃報を聞いて、しばし茫然としました。94という年齢を考えれば、いつそういうことがあってもおかしくはありません。
でもこの1月にも、赤松さんが代表を務めている、女性議員を増やすための「クオータ制を推進する会」(Qの会)の例会に出席され、会の後、いつも通りおおいに食べて飲んだと聞いていましたから。
じつは昨年の12月に、食事のお誘いを受けていました。私は体調を崩していて、しばらく会食できないとお返事したところ、とても寂しそうなご様子だったそうです。
年が明けてしばらくしてから、「このところ体調回復。そろそろ、お夕食会の日程調整ができると思います」とハガキを出したら、すごく喜んでいらしたと人づてに聞いて。私も「よかった、早くお目にかかりたい」と思っていました。訃報に接したのは、それから10日後くらいのことです。
私はお酒を飲めないので、いつも食べる専門。赤松さんはイケる口でしたので、お酒を飲みながら、「超高層ビルの中に、いまだに家父長制がはびこっている!」「なぜ選択的夫婦別姓が実現しないのか」「それでも、女性の仲間がどんどん増えていくのは頼もしい」などと、忌憚なく語り合うのが常でした。
近いうちに、あの胸のすくような口調がまた聞けると楽しみにしていたのに──本当に残念です。