(写真提供:Photo AC)
農林水産省が実施した「作況調査(果樹)」によると、令和4年産果樹の結果樹面積は16万6,000haで、15年前と比べて4万4,200ha減少したそうです。近年の経済不況も手伝って、果物が食卓に並ぶ機会が少なくなっていますが、技術士(農業部門)で品種ナビゲーターの竹下大学さんは「日本の果物は世界で類を見ないほど高品質。それゆえ<日本の歴史>にも影響を及ぼしてきた」と語っています。そこで今回は、竹下さんの著書『日本の果物はすごい-戦国から現代、世を動かした魅惑の味わい』から「温州みかん」についてご紹介します。

温州みかんが発見された場所

温州みかんは日本人にとってもっとも親しみのある柑橘。これに異論は出ないだろう。

温州と中国の地名がついてはいるものの、中国から導入された品種ではない。日本で発見された、正真正銘我が国オリジナルの品種なのだ。

温州みかんが発見された場所は、鹿児島県のほぼ最北端に当たる長島だとされる。

長島は天草諸島の南端、八代海(やつしろかい)(不知火海<しらぬいかい>)にちょうど蓋をするかのような位置で九州本島をつなぐ。天草諸島はすべて熊本県に属しているように思いがちだが、長島は鹿児島県の島である。

長島には遣唐使船が漂着した記録が残されており、このような際に入った種子が育ったのだろうとされてきた。温州みかんの存在は、遅くとも江戸時代初期には知られていたようだ。

長島発祥説を唱えたのは田中長三郎であった。詳細なフィールドワークと文献調査から、長島が古くは「仲島」や「大仲島」と呼ばれており、温州みかんが「仲島みかん」や「大仲島」と呼ばれていたことを根拠とした。

また、1936年(昭和11年)に鹿児島県農事試験場(現農業開発総合センター)の岡田康雄が、長島で樹齢300年以上と推定される古木を発見したことも決め手となった。