「『ああすれば、こうなる』ってすぐ答えがわかるようなことは面白くないでしょ。『わからない』からこそ、自分で考える。……それが面白いんだよ」。わからないということに耐えられず、すぐに正解を求めてしまう現代の風潮についてこう述べるのは、解剖学者・養老孟司先生です。今回は、1996年から2007年に『中央公論』に断続的に連載した時評エッセイから22篇を厳選した『わからないので面白い-僕はこんなふうに考えてきた』より、2004年8月のエッセイをお届けします。
犬と猿
このところ日本の田舎めぐりをしている。べつに好んで田舎に行くのではない。虫の季節になったが、虫は都会では捕れない。だから田舎に行く。6月は福井と高知と山口に行った。
福井では、古家の囲炉裏端(いろりばた)で、地元の人たちと話をした。有機農業をやっている人たち、ダイオキシンが出るから焚き火をするなという法律などとんでもないという運動をしている材木屋さん、田園都市を作りたいという森林組合長、その他である。そういえば、町長さんも参加していた。
そのうち畑にサルが出る、イノシシが出るという話になった。そうしたら、役所を定年になって、いまは有機農業をやっているというオジサンが言い出した。「ここ10年、役所がやらなくなったことがある、あれだな」。
答えはなにか。野犬狩りである。野犬がいなくなったから、役所は野犬狩りをしない。同様にして、野犬がいなくなったから、サルだのイノシシだのの天下になった。まさに納得。
野犬というのは、里の近所をウロウロしているもので、そんなものがいたら、私がサルなら人里近くには出ない。なにしろ犬猿の仲、私がかつて飼っていたサルはイヌに尻尾を噛み切られたことがあった。
田畑にサルやイノシシが出るのは山が荒れたからだ。そういう意見もあった。人里のほうが食料になるものが多い。しかも美味である。だから里に出るという意見もあった。
でも真相はおそらくイヌ、正確にはイヌの不在であろう。すべてのイヌを紐でつないで、自由には動けなくした。それでいちばん喜んだのは、サルであり、イノシシであり、シカだったらしい。日本にもはやオオカミはいない。