演劇の世界で時代を切り拓き、第一線を走り続ける名優たち。その人生に訪れた「3つの転機」とは――。半世紀にわたり彼らの仕事を見つめ、綴ってきた、エッセイストの関容子が聞く。第38回は俳優・歌手の岡本健一さん。中学3年生で芸能界入りした後、蜷川幸雄演出の『唐版・滝の白糸』に出演したことから、演劇の世界に行きたいと強く思ったそう。男闘呼組としてデビュー、そして一児の父となり――(撮影:岡本隆史)
雑誌に出て人生が一変した
アイドルグループ男闘呼組の頃の認識が残念ながらあまりないのだけれど、1991年にベニサン・ピットの狭い空間で観た『蜘蛛女のキス』の革命家ヴァレンティン役が強烈な印象として残っている。2002年、今度は広い新橋演舞場で観た『嵐が丘』のニヒルなヒースクリフもはまり役だった。
そしてこれぞ当たり役と思えるのが12年、新国立劇場で観た『リチャード三世』の屈折したタイトルロール。それまでに観たどの名優たちのリチャードよりも、リアルで鮮明だった。その後、劇団民藝への出演が目立ってきて、特に16年、名女優・奈良岡朋子との『二人だけの芝居―クレアとフェリース―』がよかった。
まずは岡本少年が男闘呼組加入に至るまでの経緯から。
――中学3年の夏休み、原宿で偽のスカウトマンから声をかけられた話は、もうかなり知れ渡っていますけどね。でもその時、指定の場所には行かなかった。で、友だちにそのことを話したら、面白いからそのジャニーズ事務所へ行ってみようよ、って。それで行ったらポラロイドで写真を撮って、電話番号訊かれて終わり。
一週間後に社長のジャニー(喜多川)さん本人から電話があって、「ユー、明日は何やってんの?」。「夏休みだから別に何も」って言って、ジャニーさんに会いに行き、最初の言葉が「ユーがふらふらしてるから、偽のスカウトマンに声掛けられたりするんだよ」というお説教。
じゃあ明日ここへ行って、と渡されたのが小学館の地図で、行ってみるとジャニーズJr.の子たちが10人くらいいて。僕もわけのわからないままに手編みのセーターを着せられ、広いスタジオで写真を撮られた。
夏休みの間は合宿所に行って、ダンスのレッスンが10時間。50人くらいで受けるんだけど、みんなすごいのよ、うまくて。うまくなれば少年隊のバックで踊れる、って言われても、バックはいやだな、とか思ってるうちに夏休みが終わった。
そして学校が始まったある日、校門のところにすごい人だかりができている。何だろうと思ったら、『プチセブン』という雑誌に出た俺の写真を見た人たちだった。教室に入ってもみんなが俺のこと見てて、下校の時には他校からも人が集まってきていて……。そこから生活が変わっちゃった気がしましたね。