イメージ(写真提供:Photo AC)
貧困家庭に生まれ、いじめや不登校を経験しながらも奨学金で高校、大学に進学、上京して書くという仕事についたヒオカさん。「無いものにされる痛みに想像力を」をモットーにライターとして活動をしている。第85回は「『嫌なら辞めればいい』に思うこと」です。

「嫌なら辞めればいい」

東京で珍しく大粒の雪が降り続き、凍えるような寒さが襲った時があった。用事があり、街を歩いていると、若い女性たちが、超ミニ丈のスカートの制服を着て、路上でビラ配りをしていた。風もあり、雪が吹き付ける悪天候の中、そんな薄着で外に立たないといけないなんて。風邪を引きそうだし、中には体調が万全ではない人もいるだろう。感染症も流行る中、体調を崩したらどうするのか。

用事を終えて外に出てもまだ彼女たちは立っていて、こんな天気の中立ち続けないといけないことが本当に心配になり、なぜ防寒着の着用をしないのか、できないのか、許されていないのか、とても疑問に思った。

その出来事を友人に何気なく話すと、友人はこう言った。

「え? 別に嫌なら辞めればいいじゃん。バイトなんていくらでもあるんだし」

ものすごく既視感のある発言だな、と思った。

この社会では、例えば非正規雇用の人たちが待遇改善を求めて声をあげると、「嫌なら正社員になればいい。今どき選ばなければ仕事はいくらでもある」という批判が起きる。日本社会に対して意見する人がいれば、「嫌なら日本を出ていけばいいじゃん」という声もあがる。

「嫌なら辞めろ。それができないなら文句を言うな」これを相手を一発で黙らせる正論だと思っている人がいる。

でも、私はこういう考え方にいつも強い違和感を覚える。その場にとどまる人があげる声を、「嫌なら辞めろ」で封じて、果たして社会が発展するのだろうか?