「秀樹とひろみと僕は〈新御三家〉と呼ばれるようになり、3人とも同い年ですが、デビューの早い僕が長男的な立ち位置に」(撮影:宮崎貢司)
「新御三家」と呼ばれ、数々のヒット曲を放った野口五郎さんは、半世紀以上活躍を続けてきました。音楽にかける情熱はとどまることを知らず、分野の垣根を飛び越えた、その先の興味について熱く語ります(構成:平林理恵 撮影:宮崎貢司)

前編よりつづく

スター世代の末っ子、アイドル世代の長男

13歳で上京し、15歳のときに演歌でデビュー。業界の中で大小さまざまな荒波を乗り越えながら、いつも今よりも「その先」を必死で追い求めてきました。

僕がデビューした1971年は、「スターの時代」。業界には五木ひろしさんや森進一さんなどの実力派の先輩がたくさんいらっしゃいました。みなさん、レッスンを積み、苦労を重ねてデビューされた方ばかり。僕はそんな「スターの時代」の末っ子として、全国のキャバレーを回り、酔客の前で前座として歌うという下積みを経験しました。

まだオーディション番組『スター誕生!』が始まる前のことです。その後、僕の翌年に、西城秀樹と郷ひろみがデビューするや、時代は「スター」から「アイドル」へと移っていく。麻丘めぐみちゃんが「芽ばえ」で、森昌子ちゃんが「せんせい」でデビューしたのもこの年です。

秀樹とひろみと僕は「新御三家」と呼ばれるようになり、3人とも同い年ですが、デビューの早い僕が長男的な立ち位置に。スター世代の末っ子が、アイドル世代の長男となったわけです。

その時代を僕らはアイドルとして駆け抜けました。1週間に50本も歌番組があったので、彼らと会わない日はありません。だから普通に友達同士だったし、周囲の思惑はさておき、ライバル意識はさほど強くなかった。

16歳の子どもでしたが、自分だけの椅子を作らなきゃいけない、そうしないと存在を認めてもらえない、ということは十分わかっていました。だから、僕らはアイドルという1つの椅子に3人で座ろうとしていたのではなく、目指すところに自分の椅子を作ることに必死だった。ワイルドで男らしい秀樹、美しくて可愛いひろみ、そんな2人に囲まれた野口五郎としては、ちゃんと歌を歌っていこう、と。

葛藤はもちろんありました。演歌ではフリをつけて歌うもんじゃないと厳しく言われて育ったのに、ジェスチャーみたいな表現を求められる。その中で自分はどう表現していくべきなのか……。想像をはるかに超えたアイドルブームに、戸惑っていたのかもしれませんね。