いつかバディものを
連続テレビ小説では異例ともいえる女性2人のバディもの。執筆のきっかけは、制作統括の松園武大さんからのオファーだ。「正規の看護教育を受けてトレインドナースとなった大関和さんと鈴木雅さんの物語を作りたい」と依頼された。
「いつか女性のバディものを書きたいと思っていました。”朝ドラ”でバディものは聞かないですし、医療ものを手掛けたかった。夫を病気で亡くしたので医療関係者に知り合いも多い。看護の世界を描けることがとても嬉しく、こんないい話はないだろうと二つ返事でお受けしました」
りんと直美のモチーフは、大関和と鈴木雅。1886年に桜井女学校付属看護婦養成所に1期生として入った。最初期に本格的に看護を学んだ2人だ。
大関和は、下野国黒羽藩の家老の娘として生まれる。明治維新後、家は没落。士族の男性と結婚するもうまく行かず、子どもを連れて離縁。上京し看護婦養成所に入学する。
鈴木雅はクリスチャンとして育ち、英語が堪能。和とともに看護婦養成所で学んだ。慈善活動に力を入れたほか、看護婦の育成に目を向けた人物。
2人をモチーフに、りんと直美のキャラクターを考案。りんは那須の山裾の村で愛情いっぱいの環境で育った元家老の娘、直美は教会に捨てられていた子どもで、厳しい環境をしたたかに生き抜く女性だ。
「大関さんも鈴木さんも資料がほとんどありませんでした。脚色されている資料も多く、歴史考証の方が調べてくださったんです。ナースは天使のようなイメージがありますが、大関さんの足跡をたどると天使というよりも戦う女性だと感じました」と話す。大関和は看護の質確保や後進育成のため、看護技術を綴った本を執筆。看護婦同士が支え合うための組織作りや廃娼運動にも関わったとされる。
「大関さんには泣き虫だったのか『ナキチンゲール』というあだ名があったといくつかの資料にありました。りんの、感情豊かで思ったらすぐ行動するところは、大関さんからイメージしました。鈴木さんは、大関さん以上に資料が集まらなくて。史実では武家の娘ですが、大胆にアレンジして、教会の前に捨てられていたという直美の人物像を作りました」