(撮影:岡本隆史)
演劇の世界で時代を切り拓き、第一線を走り続ける名優たち。その人生に訪れた「3つの転機」とは――。半世紀にわたり彼らの仕事を見つめ、綴ってきた、エッセイストの関容子が訊く。第52回は人形浄瑠璃文楽太夫の竹本織太夫さん。三味線の家に生まれ、4歳の時から琴三味線の稽古を始めたという織太夫さんが、太夫の道を選んだ理由は――。(撮影:岡本隆史)

「僕はこっちになる」

人形浄瑠璃文楽座の太夫は、重厚な太棹三味線に乗せて何役も語り分けるだけでなく、地の文も語って言わば劇全体を一人で演じてしまう。

六代目竹本織太夫(おりたゆう)さんの強く響き渡る声にぐいぐいと浄瑠璃の世界へと引き込まれるのは、文楽を観る……というより聴く楽しみと言える。

織太夫という名前は、大名跡である竹本綱太夫(つなたゆう)の前名。華やかな綱太夫襲名の晴れ舞台を観られる日もそう遠くないように思われて、楽しみに待つファンも多いらしい。まずは幼少の頃のお話から。

――母方の祖父が三味線の二代目鶴澤道八(どうはち)で、大伯父が四代目鶴澤清六、伯父が鶴澤清治なので、私はその三味線弾きの家系になるわけです。でも、ややこしいんですが、その四代目清六は七代目綱太夫の孫婿で名跡養子でもあるので、実は太夫の家でもあるんです。

話を戻すと、4歳の時から琴三味線の稽古を始めて、祖父はもちろん私を文楽の世界に入れようとするんですが、稽古に行くのをいやがって押入れに隠れたりしてましたね。

幼稚園の頃に、大阪の新町の小唄のお師匠さんが出稽古に来てくれて小唄を一曲教えてくれたら、一回の稽古で覚えました。

その頃、関西のテレビで西川きよしさん司会の『素人名人会』という番組がありまして、そこで「絵日傘」というのを歌ったら、賞を取ったかして賞金が出たので、キラキラ光ったりするデコレーション付きの三輪車を買ってもらいました。

歌を唄ったらいいことがいっぱいあって、みんなに褒められ、家族みんなが幸せそうで、いいなあとその時、思ったんですね。

週末には母が僕を文楽観に連れて行くんですが、その頃(竹本)津太夫・道八というコンビで舞台に上がっていたんです。祖父が三味線を弾き、津太夫師匠が大汗かきながら見台をこう両手で持って伸び上がって大声で語るのを見て、この劇場空間を制するのは太夫さんやなと思いました。

それで、「僕はこっちになる」と言うんですね。これがまず第1の転機だと思います。