60歳を過ぎた木綿子は父の介護と引きこもりの娘の世話に日々追われている。不幸ではないが、いろんなものを諦めてきた人生だった。けれど、ひょんなことから知り合った2歳年下の男と出逢う。二人は互いに惹かれていくが……。遠田潤子さんが描く、静謐で過激な大人の恋愛小説。ぜひお楽しみください。

 三十分ほど走って着いたのは大阪湾を望む高層ホテルだった。超一流ではないが、家族から逃げ出した主婦が泊まるには贅沢に思えた。
「長い間旅行もしていないんだ。一晩くらいゆっくりしたってバチは当たらない」
 そのとき、私は慌てていてアクセサリーを忘れてきたことに気付いた。母の形見の真珠のネックレスをしてくるつもりだったのだ。これでは胸許が寂しすぎる、と消沈している間に、部屋に着いた。
 ごく普通のツインの部屋だった。窓からは大阪湾の夜景がよく見えた。遠くには神戸、淡路島、そして臨海地区の工場夜景は見事だった。
 だが、霧はすぐにカーテンを閉じてしまった。
「すまないが高いところは苦手なんだ」
 高所恐怖症なのだろうか。霧はそれ以上はなにも言わなかった。