大戦末期、戦艦大和とともに沖縄水上特攻を命じられた駆逐艦響は周防灘で触雷、落後する。乗組員の浦賀少尉は、日本の内海すら米軍の機雷で埋め尽くされた現実に愕然とする。
 戦後、海上保安庁で日本周辺の掃海任務にあたっていた浦賀だが、ある日、緊急電により下関へ向かう。そこには多数の掃海艇が集結していた……。当時の日本の難しい立場を背景に約三十年も秘された事実をもとに、日本人にもっと知ってもらいたいと願う直木賞作家の著者が、全力で挑む歴史大作、ここに開幕!


「ここが兵学校で俺が上級生なら、貴様には鉄拳を見舞ってやったところだが」
 まばらに人が行き交う道の片隅で、内海は呆れ顔を作った。松原は「まあ聞け」と応じる。
「前提をすっ飛ばした提案など、モダンなご家庭の子女がクリスマス・プレゼントを夢想するより下らん。そろそろ教えてほしいのだが内海、貴様は誰の命令で俺たちを集めて自由研究をやらせているのだ」
「なぜ、いま訊く」
「いま俺が言った、前提条件を決められそうな先と内海が繋がっているか、それを確かめたい。返答しだいでは、俺は自由研究を抜けさせてもらう」
「なら、貴様から言うのが筋だな。決めねばならぬ前提とは何だ」
「最高指揮権は誰が持つのだ」
 内海は剛毅な顔にわずかだけ動揺の色を見せ、周りを見回した。
「安心しろ。街中が最も人聞きに遠いのだ。わざわざ立ち止まって他人の話に耳をそばだてる手合いなどそうそういないし、いればすぐ見つかる。まあ発する言葉には多少の注意が必要だが、俺は今のところ、他人が聞いてすぐ話題が分かるような語は使っていない」
「そうかもしれんが、少しは驚かせてくれ。俺は書類の受け取りと世間話だけして帰るつもりだったからな」
 内海が苦笑している間に、松原は煙草をくわえて火をつけた。
「この前提について、俺はすでに俺なりの答えを持っている。最高指揮権は一本化し、政府大臣のみが持たねばならん」
 内海は目の底に微妙な光をたたえた。
 旧憲法下において、陸軍と海軍はまったく別の組織だった。戦争が始まると無数の連絡会議を通じてゆるやかに連携し、またたいていは連携に失敗して戦争遂行に支障をきたした。指揮権の一本化は「統帥一元化」とも呼ばれる。
 かつ、陸海軍は天皇に直属し、作戦について政府の統制を受けなかった。戦争の開始と終了は政府が決定権を持つが、たまさかに武力衝突が起これば、陸海軍は作戦のうちと言い張って勝手に戦闘を拡大し、実質的な戦争に発展させることすら可能だった。じっさい中国との戦争は北京郊外の偶発事件から始まり、陸海軍それぞれの積極的な作戦行動によって和平の機会を何度も逃し、世界大戦に至るまで無秩序に拡大した。
 もし海軍が再建されるなら、おそらく同時期に再建される陸軍と統帥を一元化し、かつ明確な政府の統制下に置かれなければならない。松原はそう考えていた。
 ただし統帥一元化は、戦中から陸海の軍人たいていが、それぞれの権限拡大をもくろみながらも唱えるところだった。政府による軍隊の統制も、軍部の暴走による敗戦を経たいまの日本なら当然の建て付けである。
 松原からすれば、当たり前のことを言ったに過ぎない。ただし内海の、また内海の背後にいる人間の理解を試すつもりで、「最高指揮権は一本化し、政府大臣のみが持つ」とやや遠回しに表現した。ここでピンと来てくれなければ、共に語りえる相手ではない。
「そりゃ、総理大臣しかあるまいな。現行憲法では選挙を経た国会議員しか就任できず、同じ議員たちの多数決で指名される。主権者たる国民の意を、いわば二重に受ける立場だ」
 あっさりした口調で寄こされた内海の答えは、松原の期待に対して斜め上といったところだった。
「俺が南方の陸戦隊にいたこと、松原には話したかな」
「ああ、聞いた」
「陸海軍は互いにいがみ合ってただろ。俺はちょっと違っててな。部下を連れて南方の小島へ配属された早々に海上補給路がやられてしまった。おかげで先に駐屯していた陸さん(陸軍)ともども、飢えた」
 えらい戦争をしていたものだ、と松原は思った。
「魚を獲る道具なんてありゃあしない。草を食って、木の皮を食って、羊羹の味がするとかで火薬まで食って、互いの食い物を融通しているうちに、いがみ合うどころじゃなくなった。連合艦隊は米軍主力と決戦を挑むためとか言って、前に出てこない。俺とて海軍将校のはしくれだから戦略であるとは分かるが、ちょっと駆逐艦を寄こしてそこらの敵潜水艦を掃討してくれりゃあ、とは陸さんの将校と何度も話していた。聞けばその島の陸さんは海軍からの要請で来てたらしくてな。アメリカとの戦争は陸軍が押し切って始めたが、島の陸さんたちが御前会議で対米開戦を叫んでいたわけではない」
 あの戦争、誰が悪かったんだろうな。内海はぽつりと続けた。
「誰が悪いかは分からんが」
 松原は言った。
「貴様は陸さんと助け合って飢餓の島で部下の統率を続けた。俺は内地を駆け回り、海図に機雷のピンを打っていた。夢の中で責任のなすりつけ合いに終始する上層部(うえ)と、容赦なく進行する現実。両者が感動の逢瀬を果たす現場だけが、ただ割を食うのだ。ある程度は仕方ないとしても、いつまで、どれほど食わせればよいのか」
 いつの間にか目を真っ赤にしている内海に向かって、松原は続ける。
「俺たちは生き残った。そのぶん働くか。それとも、おめおめと生き残った罪を、死者の『後な慕いてゆく』日まで詫びて明け暮れるか。おれは前者を選ぶ」
 戦犯として処刑された陸軍大将の辞世を、松原は引いた。
「高級軍人ならば、寿命までの短い余生を部下の追悼と名誉の回復に捧げる、という責任の取り方もあるだろう。無理筋の判決を黙々と受け入れて刑死するという選択も立派だ。俺たち佐官止まりの世代はどうだ。もちろん敗戦について、職務相応の責任がある。同時に、より長い余生も待っている。ならば高級軍人のお歴々とは別の、果たすべき役目があるだろう。数千万の国民が生存し、これからも生まれてくるのだからな」
 それまで黙って話を聞いていた内海は、指で目頭をぬぐって表情を改めた。
「松原、貴様はどうやら、ものが見えているようだな。合格だ」
 んん、と松原は首をかしげる。
「今回の提案書は、いわば俺が自由研究メンバーに課した卒業論文だ。どれもこれもが緻密だったが、夢物語か縄張り争いにとどまっていた。小さくても空母が欲しいとか、四方を海に囲まれているのだから航空戦力は海軍が独占すべきとかな。兵力だけにとどまらず、軍隊そのもののあり方から考察していたのは、貴様だけだった」
 こんどは松原が周りを見回した。だれもが道を行き、その数はまばらで、誰もこちらを見ていなかった。
「考察も何も、おれは提案書を作ってもいないぞ」
「そんな怠け者に合格をくれてやるのは試験官としても不本意だが、仕方あるまい。次は俺からの話だ。松原、貴様を俺が仕えるお方に引き合わせる。以後は俺の仕事を手伝え」
「またも検討の前提条件が欠けている」
 今度は松原が苦笑した。
「お方とやらは誰だ。内海の仕事とは何だ」
「名は、会わせるまで明かせない。松原の希望に応えられるお立場とだけは言っておこう。仕事はいわば使い走りだ。さまざまなグループと接触し、そこで考えてられる再建の議論をまとめ、手と足で必要な補足調査を行い、必要であれば偉い方々の意向を伝える。むろん違法な行為などしない。ただし、ものが分かっていなければできない仕事だ」
 思い出話ではなくなったからか、内海は「海軍」の語を注意深く避けていた。
「再建か」
 松原はちょっとだけ考えた。
「俺は掃海をやっていたい。本職は続けられるか」
「体力しだいだな。忙しくはなる」
「なら、返事は諾だ。面白そうだからな。あとさっきもいったとおり、俺は働きたい」
「承知した。また連絡する」
 内海はくるりと背を向けてきた。用は終わった、と言わんばかりの去り方だった。
                 〈つづく〉

【関連記事】
川越宗一 小説連載「白く爆ぜる海」 第26回
川越宗一 小説連載「白く爆ぜる海」 第25回
川越宗一 小説連載「白く爆ぜる海」 第24回