「死ぬにも結構なお金がかかる」という現実を突き付けられ…(写真:stock.adobe.com)
時事問題から身のまわりのこと、『婦人公論』本誌記事への感想など、愛読者からのお手紙を紹介する「読者のひろば」。たくさんの記事が掲載される婦人公論のなかでも、人気の高いコーナーの一つです。今回ご紹介するのは福岡県の50代の方からのお便り。80代の父親に「葬儀費用について調べてほしい」と頼まれ、葬儀場を訪ねてみたところ――。
死ぬにもお金がかかる
80代となった父の書棚に葬儀場のチラシが置いてあった。本人に問うと、スーパーへ買い物に行った際にもらったそう。それが《終活》を考えるきっかけになったのか、父から「葬儀費用について調べてほしい」と頼まれた。
とはいえ、頼まれたのは昨年のこと。ずっと気にはなっていたが、葬儀場へ行くのを躊躇していた。重い腰を上げて話を聞きに行ってみると、もっと早く来るべきだった、と後悔することに。
パンフレットをもとに説明を受けると、葬儀とはこんなにお金がかかるものなのか、と本当に驚いた。高騰した理由には、物価高の影響もあるようだが、想像よりずっと高額だったのである。
父の葬儀に参列してくれそうな親戚関係を考えてみたが、母方の兄弟である伯父たち、その妻の伯母たちも皆亡くなったし、疎遠になってしまったいとこも多い。父方の兄弟である伯父たちは元気だが、こちらも疎遠。父方のいとこには会ったことすらない。
そんな父のために、いったいどれくらいの規模の葬儀が必要というのだろうか。「家族葬」の参列者が文字通り、家族だけの可能性も十分にありそうだ。「人は生きてきたように死んでいく」と耳にするが、親の葬式について考えるたび、その言葉を反芻する。同時に自分の歩みを振り返って反省しきりである。
人生の最期について調べていたら、思いのほか、生きるということを考えるようになった。老いへの覚悟もできた。同時に「死ぬにも結構なお金がかかる」という現実を突き付けられ、慌てふためいてもいる。
それでもなんとか父のために、体裁を整えた葬儀にしてやれたら、と思うのは長女の損な役回りなのだろう。葬儀場まわりはまだ始まったばかりだが、納得のいくお葬式を実現するために動いていきたい。