詩を味方につけて暮らそう
同時代の、まさにいま書かれたような詩を、どう読めばいいか。日本の現代詩の多くは、言葉の使い方が独特で、ぱっと見ただけでは意味を読み取りにくく、敬遠する人が多い。
でも、「わかりやすい」言葉のもつ危険さやうすっぺらさについて、もう多くの人が気づき始めている。「遅く」伝わる詩の言葉には、高速で伝わる言葉とはまったく違う機能があるのだ。それは、目に見える現実や自分の心の動きに新しい言葉をあてると、新しい視点からそれを見ることができるようになる、ということだ。
ありきたりな言葉で表す心は、ありきたりなまま。風変わりで伝わりにくい言葉ほど、自分の感受性を更新する可能性がある。新しいだけに、なじみがなくて当たり前。「読解しなければ」なんて思わずに、ゆるゆるつきあう。たとえばこの詩集は、ステイホームが習慣化した日常を描き、その先の暮らしを思う。この詩集の世界に無関係な人はいない。
〈ここに窓がある。/眠れない夜の毛布のなかに/世界がいろんなものを放り込んでくる〉(「ケチャップ」)。あなたの毛布のなかにも、好きなものや嫌いなものが入ってくるはずだ。放り込まれるものは、自分では選べない。〈画家のことを書いた友人は病気をして/恢復したが/いまちょっと言葉が不自由だ。/「思っていること、ちゃんと言えない」/と言われて/思ったこと、ぼくもちゃんと言えなくて/見知らぬ人たちのなかにいる。/生きている。立ちどまれない。前に進む。〉(「銀座」)。過去とつながって生きることの安心感と、いやおうなく未来へ押し出される不安と。「独りでいても孤独ではない未来」を手探りするいま、こんな詩を味方につけて暮らしたい。
『休息のとり方』
著◎福間健二
而立書房 2000円
著◎福間健二
而立書房 2000円