2022年9月8日、イギリス王室は女王エリザベス2世が死去したと発表した。享年96。スコットランドのバルモラル城で静養中だった。2021年には夫のフィリップ殿下を見送っている。1952年、父の急逝を受け25歳で即位。在位中に仕事を共にした首相は10名以上にのぼる。1979年に首相の座についたサッチャー氏との関係性とは――
サッチャー首相の希望
フォークランド戦争は、サッチャー首相にとってはまさに「天佑(てんゆう)」であった。1979年5月の総選挙で彼女が政権を獲得したとき、イギリス経済はまさにどん底の状態にあった。労働組合の活動を野放しにしてきた長年のツケもたたって、財政も困窮状態にあった。
インフレと財政難を克服するため、サッチャーは通貨供給の増加率を厳格に規制し、政府支出も厳格に管理するようになった。この成果が現れるのは1980年代末になってからのことであるが、その代償は大きかった。
企業の倒産が相次ぎ、1982年1月には失業者は300万人を超していた。サッチャー政権の支持率は、わずか25%にまで下落していた。
そのような矢先に生じたのがフォークランド戦争だった。この戦争の勝利で政権の支持率は一挙に80%以上に上昇した。その余勢を駆って、翌1983年にサッチャーは議会を解散し、総選挙で保守党にさらなる議席をもたらすことに成功した。
サッチャーが指導者としてイギリスに登場した1979年、彼女の使命はイギリスの経済・財政の立て直しであり、またその外交的な関心はその年の年末にアフガニスタンへ侵攻を開始したソ連に対し断固たる態度をとることであった。
翌年の大統領選挙を制してレーガンがアメリカに登場すると、「ロンとマギー」のコンビは二人三脚で国際政治を歩んでいく。そのようなサッチャーにとって、コモンウェルス、さらにアフリカの問題などほとんど関心がなかった。