施設とうまくタッグを組める家族、組めない家族
Y(以下――) 川内さんが、「選んだ施設に納得できたら、スタッフにこれを伝えておくといいですよ」と教えてくれたことがあるんですが、覚えてます?
川内 「もし親の死に目に会えなくても、文句はありません」ですか?
―― それです。グループホームGとの契約のときに、施設長さんといろいろ話をして、ここなら大丈夫だと思ったので「最善を尽くしてくださるでしょうから、もし、母がこちらで突然亡くなっても、私は『母は幸せだったのだ』と考えることができそうです」と言ったら。
川内 はい、言ったら。
―― 施設長さんの瞳がすこし開いて、うるっとしてました。
川内 それはよかったですね。施設側のYさんへの信頼感が一気に上がったと思いますよ。「介護に正解はない、あっても次の日の正解とは限らない」と、施設のケアマネさんが言っていたということですが、まさにその通りで、結局、人の生き死にについて、100%の責任を持つなんて、どうやっても無理です。
別に介護に限ったことではなくて、早い話、こうして話している僕やYさんだって、帰り道で事故とかで死んじゃう可能性はあるわけです。事故の責任は誰かが持つべきかもしれない。でも「死」そのもの、いつどこで人生を終えるかについて、最終的な責任を持てる人は誰もいないわけですよね。
それを理解して、皆さんが頑張ってくださることを信じているから、私は無理なことを押し付けたりはしません、と言ってくれる利用者のご家族。「この人は我々のことを分かっている」と、涙も出ようというものですよ。
―― 介護担当の現場の方々とがっちり握手ですね。もしかしたら「このYさんは冷たい、親不孝な人間だ」とか思われるんじゃ、なんて心配も実はしていたんですけれど、そんなことはなかったみたいです。
川内 子どもが「親にいつまでも長生きしてほしい」と思うのと、「親はいつか死んでしまう」と理解するのは、両立できることなんですが、「親孝行の呪い」に縛られると後者が見えなくなり、介護スタッフに「親が死んだらお前のせいだぞ」くらいのプレッシャーをかけてしまったりする。Yさんは「ちゃんと両方持ってくれている」と、スタッフを安心させたんだと思います。