ミカドができるまで
堀江貴文が逮捕されたライブドア事件が、世間を騒がせていた2006年のある日、会社を辞めて友人たちとゲームの攻略DVDやサントラを作っていた僕のもとに、知人がこんな話を持ってきた。
「歌舞伎町に居抜きで売られているゲームセンターがある。池田くん、興味ないか」
子供の頃からゲームセンターが好きで、人生のほとんどをゲームと過ごしてきた僕にとって、自分のゲームセンターを経営することは昔からの夢だった。
1974年生まれの僕は、5歳でインベーダーブーム、9歳でファミコン、中学生になってからはPCエンジン、メガドライブ、ゲームボーイ、スーパーファミコン……とにかく毎年のように新しいゲームハードが登場する時代に生きていた。
シューティング、アクション、対戦格闘ゲーム、あらゆるジャンルに勢いがあり、ゲームセンターに行けば最新の刺激があった。
ゲーム漬けの生活のなかで高校をドロップアウトした僕は、19歳でゲーセン店員になり、21歳のときにゲームセンターの筐体を売る会社に就職。業界の仕事を続け、30歳で独立。
ゲームの攻略DVDやサウンドトラックを作る会社を経営していた。
そんな僕にとって、自分の「場」であるゲーセンを持てるかもしれないという提案はとても魅力的だった。
お店の値段は600万円。
当時の僕にとっては到底一括で払える額ではなかった。
あきらめきれず、さんざん迷った末に、僕は必死でお金をかき集め、このゲームセンターを買った。
それが「ゲーセンミカド」歌舞伎町店のスタートだった。
お店の主役は、いまでは見かけなくなったような古いアーケードゲーム。特にビデオゲームには力を入れた。
時代の流れと逆行するような古くさい小さなお店だったが、ゲームを愛するお客さんとスタッフに支えられて、ミカドはじわじわと根強いファンを増やしていった。
それから3年後。
2009年にテナント契約上の都合で、歌舞伎町のビルから高田馬場のビルへと移転し、以来、いまに至るまで僕はここでゲームセンターを続けている。