ガラケーの幻覚

夕方に旅館に入り、お題を「春」とした家族句会の後、宴会に。

お別れムードのような湿っぽさもなく、いつもと変わらず和気あいあいと盛り上がりました。

食欲がなくて、新鮮な地魚の刺身や天ぷらもほとんど手をつけられず、婿殿(むこどの)や龍希らと酒を酌み交わすばかりだったけれど、楽しかった。

お別れのつもりだったのに、かえってお別れしたくなくなりました。

生きたい、と思いました。

しかし、この時期あたりから、僕は自分自身がおかしな行動を取っていることに、うすうす感づいていました。

お別れムードのような湿っぽさもなく、いつもと変わらず和気あいあいと盛り上がりました(写真提供:Photo AC)

夜、床に就く前。

ふと気付くと、もう使っていないガラケーを手に、せっせとメールを打ち込んでいる。

誰に向かって、何を伝えたくてキーを押しているのかまったくわからぬまま、はたと我に返って恐ろしくなる。

手の中に「ある」はずのガラケーは、どこにも「ない」。僕は、ガラケーの幻覚に向かってメールを打ち込んでいたのです。

そんなことが3回ほどありました。

ドラマ『今度生まれたら』のクランクアップは目の前。

絶対に、ここで倒れるわけにはいきませんでした。