娘。右の額縁は遺影。最後まで変わらない笑顔でした(撮影:林ひろし/写真提供:すばる舎)

自分の力で人生を切り開いていった娘

いよいよダメだとなったとき、娘を家に連れて帰ろうと思いました。娘も「帰りたい」と言いました。でも、帰るなら早く帰らないと、病状が悪化して乗り物に乗れない。すでに飛行機には乗れなかったので、ギリギリのタイミングです。病院からストレッチャーのまま運び出して、新幹線の特別室に乗せて帰ってきました。

病院が地元の病院と連携を組んでくれ、まずは10日ほど入院して、家に戻ってきました。このとき、息子のことでお世話になった社協(社会福祉協議会)に飛び込んで、ヘルパーさん、訪問医、訪問看護師さんを手配してもらいました。

そして、亡くなるまで20日ほど、私、夫、そしてお婿さんも泊まり込んでくれて、3人で看病しました。

 

娘は入院していたとき、癌友達ができました。その中には亡くなった方もいたので、自分が死に向かっている状況もわかっていました。

最後に、「お父さん、お母さん、もう終わりにしてください。楽にしてください。お願いします」と言いました。

私は思わず「もっとがんばれる」と言ってしまいましたが、主治医が「もう十分です。その時が来ています」と言ってくれました。周りが「がんばれ、がんばれ」と言うよりも、本人が決めたやり方で逝かせてあげたい……。

眠りにつく前には、息子も連れて帰ってきて、みなでお別れをしました。